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【ドラフトの深層】File2 大谷獲り 日本ハムの47日

2020年10月01日 06:19

2012年、野球界で最も注目されていた選手は岩手・花巻東の大谷翔平投手だった。160㌔の剛速球とパワーあふれる打撃を併せ持つ大器。12球団に加えMLBの複数球団が重点マーク。動向が注目されるなか同投手はドラフト会議を4日後に控えた10月21日、メジャー挑戦を表明した。これを受けて多くのNPB球団は撤退を決めたが、同23日、日本ハム・山田正雄GMが「リスク承知」の指名方針を公表。25日ドラフト会議で単独1位入札。交渉権を獲得した。山田GMの指名宣言から〝二刀流怪物〟入団まで。日本ハム球団プロフェッショナルたちの挑戦は47日に及んだ。(※役職は当時、敬称略)

 

突然、スポーツ紙担当記者の前で大谷指名宣言

 

ドラフト2日前の10月23日、ファイターズ鎌ケ谷スタジアム内の会議室で編成会議が開かれていた。報道陣に公表していたわけではないが、数人のスポーツ紙担当記者が張り付いていた。会議を終えた山田GMは記者たちの顔ぶれを確認しながら口を開いた。 

「毎年一番力のある選手を指名する。その方針を貫いてきました。今年も大谷選手を指名するつもりです。その方針をぶらすのはやめようと。志望届を出しているのでメジャーと闘うと言うか、正々堂々といこうということになりました」 

2日前の21日午後5時過ぎ、大谷は岩手・花巻東高で父・徹さんとともに記者会見。テレビカメラ11台、報道陣約60人が詰めかける中メジャー挑戦を表明していた。「アメリカでプレーさせていただくことに決めました。(日米)どちらの憧れもありましたけど、メジャーリーグの憧れの方が強かった」9月19日にプロ志望届を提出。国内球団をはじめ、ドジャース、レンジャーズ、レッドソックスのメジャー3球団と面談。佐々木洋監督、両親と進路に関する話し合いを重ねた末の結論。ドラフト1位候補の高校生が、ドラフト会議前に進路を米球界と宣言したのは初めてのこと。その現実を突きつけられた国内12球団は〝白旗〟を挙げると思われていた。だが日本ハムだけは違った。

 「リスクは承知。普通に考えれば厳しい。指名を受けても難しいという報告は受けている」と山田GM。9月に球団の編成担当者は大谷と接触しているが、MLB挑戦の意思の強さを痛感したという。ただ獲得の可能性は別として、選手としての評価は球団編成サイド、栗山監督とも〝投手で1位、野手でも1位〟で一致していた。その年のNO・1選手を獲得するという大方針に沿えば大谷指名は〝必然〟だった。

 前年のドラフトでは巨人と相思相愛の東海大・菅野智之投手を1位指名したが、入団には至らなかった。その点も踏まえ「昨年の菅野投手のように黙って当日サプライズということもありましたが、正々堂々と、ドラフトの方針(ルール)にそってやっていこうということになり、きょう発表しました。(公表メリットは)特に何かはありません。ただわれわれは裏工作していない。正々堂々と挑戦していきたい」。公表は大谷側の衝撃緩和だけでなく、過去の多くのドラフトで語られた「密約」など、選手のイメージを損なうことのないようにとの配慮もあったと思われる。

困惑の表情を浮かべる大谷

 

「心に残るのが嫌」大谷はドラフト中継をみなかった
 

10月25日、ドラフト当日。大谷は「自分の心に残るのがいやだった」と午後5時からのテレビ中継を観ずにグラウンドで練習していた。流石裕之野球部長から日本ハムの1位指名を伝えられる。ドラフト会場では栗山監督が「(入団が)困難なことを理解した上で日本ハムは編成に携わる人たちが命がけでやっている。その方針を変えてはいけないと思った」と指名の経緯を説明。「話を聞いてもらえるチャンスをもらえたというふうに捉えている。できる限り早く花巻に行きたい。何度でも足を運ぶつもりです」と自ら大谷に誠意を伝える考えを明かした。二刀流怪物の心を動かし、つかむため。球団フロントと栗山監督らプロフェッショナルたちの戦いが始まった。

ドラフト翌日の10月26日、山田GMと大渕隆アマスカウトディレクターは花巻東を訪れた。大谷は同席せず佐々木洋監督に指名あいさつと指名に至った経緯を説明した。山田GMらが大谷側と対面したのは11月2日。岩手県奥州市の大谷の自宅を訪れ、大谷本人と両親に対し約50分間、指名に至った経緯や球団の育成方針について説明し、栗山監督が「大谷君へ。夢は正夢。誰も歩いたことのない大谷の道を一緒につくろう」と記したサインボールも手渡した。この日は「日本ハムVS巨人」の日本シリーズ第5戦と第6戦の間の移動日。日本一をかけて戦っている最中の指揮官からのメッセージに大谷側が好印象を持ってくれた感触があった。

大谷との初めての面会を終え、球団として交渉への方向性が見えつつあった。席上、大谷からは「高校生から(メジャー挑戦)は初めてなのでパイオニアとしてやっていきたい。」「メジャーで長くやりたい」と、強い意思表示があった。「パイオニア」と「長くプレーする」というキーワード。次回交渉までに大谷本人と両親の心に響き、心を満たすための資料を作成することとなった。編成部門が中心となり球団総出で専門知識とデータを駆使して作成した「大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」A4判25ページの冊子と別紙5枚を携えて、山田GMと大渕アマスカウトディレクターは11月10日再び岩手を訪れた。

日本ハム山田GMと父・徹さん

 

勝負の夜、A4判30枚の冊子、両親前に熱弁

花巻市内のホテルの一室。大谷は同席しなかったが両親を前に大渕ディレクターがプロジェクターを使用しながら熱弁を振るった。

内容は

(1)大谷選手の夢の確認 トップの世界で、長期にわたって活躍したいということの確認。

(2)日本野球と韓国野球、メジャー挑戦の実態 過去の成功、失敗例など実例を列挙。   

(3)日本スポーツにおける競技別海外進出傾向 若いうちから海外へ渡るメリットについて卓球、スキーなど他競技と比較。

(4)世界で戦うための日本人選手の手法 いきなり世界へ飛び込むより、形をつくってから海を渡ることが成功への近道――の4点だ。 

海外でプレーする選手が増えた日本サッカー界でも、Jリーグで技術を磨いてからの挑戦が多いというデータも添えた。

交渉を終えた父・徹さんは「大変興味深かった。持ち帰って本人に伝えたい」と話した。大谷がメジャー挑戦を表明した10月21日にも「言葉や文化の違いで、メンタル的に心配。私たちは国内でプレーしてほしかった」と複雑な表情を浮かべていた。その父の漠然とした不安を、具体的な事例を挙げて裏付け、補足する内容。父の心に響くプレゼンとなった。

1週間後の11月17日、山田GM、大渕ディレクターは再び交渉のため岩手に入る。両親の勧めで、大谷本人も同席。再びプロジェクターを使用して球団の育成体制や、高校卒の選手が順調に1軍出場機会を得ている事例、球団内にメジャー球団の在籍経験者が16人いることも紹介。将来的なMLBへの道筋も想定し、トップで「長くプレーする」環境が整っていることを伝えた。この日の目玉は球団として投手と野手での「二刀流」プランの提示だった。メジャー挑戦の場合、二刀流は極めて難しいと見られていた。球団は高卒即メジャー挑戦の「パイオニア」ではなく、二刀流の「パイオニア」への道を示した。これが前回の面談で「パイオニアになる」「長くプレーする」と強い意思表示をした大谷に対する日本ハム側の誠意を込めた〝回答〟だった。山田GMは「二刀流の話をしたときは非常に喜んでニコッとした」と振り返ったが、大谷からの質問はほとんどなかったという。父・徹さんは「前向きな態度は感じられなかった。でも、全く“ノー”という感じでもなかった」。明確な方向性が見えないまま、栗山監督が出馬しての交渉が決まった。

栗山監督が岩手・奥州市内のホテルで大谷本人も交えて入団交渉

 

二刀流と背番号「11」栗山監督へ笑顔の最終回答

 11月26日、栗山監督は花巻東カラーの紫のマフラーとネクタイを身につけ、大谷と対面した。前年までスポーツキャスターとして高校野球からMLBまで取材を積み重ねてきた。大谷とは11年夏の甲子園以来の再会だった。約1時間の交渉を終えた栗山監督は「翻意させに来たわけではない。大谷君と一緒に夢をかなえたい。どうやったら手伝えるのか。監督ではなく解説者になっていた」「自分の思いを魂の部分を言葉にして伝えさせていただきました」と興奮気味に語った。交渉では、二刀流の具体的なプランやキャスター時代に培ったMLBの知識を伝え、その上で日本のファンに応援してもらってから大リーグに挑戦するのも一つの選択肢であることを熱い口調で伝えていた。大谷は制服姿で、会見場に姿を現した。取材に応じるのは日本ハムとの交渉開始後、初めてだった。

「栗山監督は情熱的な方で、素晴らしい話が聞けましたし、自分が考える上での判断材料をいただきました。ありがたかったです」心境の変化について問われると「判断材料を与えていただきました」という言葉を繰り返した。18歳、大谷の心の扉が開きつつあった。

「何度も来ると迷惑を掛けてしまう。僕は信じて待つだけです」。と岩手・奥州市のホテルを後にした栗山監督だったが、7日後、再び同じホテルにいた。大谷サイドからの申し入れに応じた形で〝恋人〟と再会した。最終決断に踏み切ろうとする大谷には不安と再確認したい点があった。不安は「メジャー挑戦を表明」しながら、日本球界入りに翻意したとなると花巻東・佐々木監督はじめ、後押ししてくれた人々、日本の他球団に迷惑を掛けてしまうかもしれない。ファン、メディアから厳しいバッシングを受ける可能性もある点。再確認したいのは二刀流とはいえ、打者でスタートしたら投手として使ってもらえないのでは、という点だった。栗山監督は「回答」を携えて大谷の前に立った。大谷が抱える〝不安〟には「何かあるとしたら、それはわれわれ球団が守っていく」と全面的な援護を約束。〝再確認〟にはとびきりの答えを用意していた。ダルビッシュが背負っていたチームのエース番号である背番号11を提示。あらためて投手として最大限の評価をしている姿勢を伝えた。栗山監督によれば11という数字そのものよりも、投手としての評価に「一番うれしそうな表情をしていた」笑顔が大谷の最終回答だった。

12月9日大谷は正式に日本ハム入団を表明した。MLBでの二刀流、自らが描く最高の夢を実現するため日本ハム入りを選択した。その夢は6年後、現実となった。山田GMの指名公表から47日。日本ハム球団のプロフェッショナルたちが18歳の少年の夢に正面から向き合って成し遂げた仕事。20世紀に演じられた「寝技」や「剛腕」を使ったそれとは全く違うスカウティングは21世紀の新たなドラフト史に刻まれている。(構成・浅古正則)

日本ハムのユニフォームに袖を通す大谷

 

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